銭屋五兵衛 河北潟干拓事業

河北潟の干拓は五代藩主綱紀の延宝元年(1673)の新田造成を始めとしその後数回行われているが、銭屋の新田開発は漁民達の生活安定をはかり、藩財政を潤そうという20年計画の遠大な事業であった。しかし、五兵衛の考えを理解できない反対の人たちの妨害で挫折する。

五兵衛の夢は、昭和38年から20余年の歳月と283億円余の巨費をかけた国営干拓事業によって実現する。

河北潟干拓土地改良区提供写真